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宮城県女川町でクラブW杯より大きな1勝があった

こちらのブログに書いたのですが、ウォールストリートジャーナルに素晴らしい記事があったので翻訳しました。
とても素晴らしい記事だったのでこちらにも同じ内容を転記します。

World Sports Wave
【サッカー】宮城県女川町でクラブW杯より大きな1勝があった

以下、転記。

クラブW杯でバルセロナとサントスが決勝を戦い世界中が盛り上った同日、宮城県女川町でコバルトーレ女川と仙台SASUKE FCの試合が行なわれた。
この試合にはただのサッカーの試合以上に大きな意味のある試合だったのだ。



【ウォールストリートジャーナル記事要約】

12月18日(日)の夜。
横浜で行なわれたFIFAクラブワールドカップで、エリート集団であるバルセロナとサントスが世界一を決める試合が行なわれ、現在最強と言われているバルセロナが世界一になった。

およそ7万人のファンはスペインのチャンピオンがブラジルのチームをいつも通りの戦い方で4対0で倒す瞬間を目撃し、その試合は世界中の数百万人の人々ががテレビで観戦したと言われている。

しかし、同日そこから約400キロメーター北東では、宮城県女川町の人々はそれより重要な試合のために集まっていた。
明るい冬の日差しを受け、まばらな群集の前で、コルバトーレ女川FCは3月11日の人口1万人のこの町を廃墟にし、そしてこのエリアで数千人が亡くなるか行方不明者を出した3月11日の震災から初めて公式のゲームをした。

津波の後に地元のレスキューやサポートをしてきた自衛隊によって提供されたスタジアムで試合が開催され、女川の誇りはもう1つの仙台のサスケFCとのフレンドリーマッチの中で、トレードマークであるオーシャンブルーのユニフォームに込めてフィールドに向かった。

設立してから5年経つコルバトーレはただの地元のサッカーチーム以上の何かを意味する存在となった。漁業と地元の原子力発電所しかなったこの地域で出来る仕事もほとんどなく、このクラブの設立者であり、地元のビジネスマンであるオウミコウイチさんはサッカーの試合で勝つことよりも、もっと大きな思いを持っていた。その思いとは仙台や東京のような都市に去っていくのではなく、「もっと近くで若い人々が楽しめるコミュニティを提供したい」というものだ。

3月11日の直後。サッカーよりも重要な事が山ほどあった。
グラウンドはより高い場所にあり、クラブのサッカー場とトレーニング場は緊急ヘリポートとして押しやられた。選手全員はその危機から生き延びたが、多くの選手はクラブのスポンサーである「タカマサ」の魚処理工場の中で仕事をする必要があったため、チーム活動は停止された。
現在、、クラブは再編成と再建を始める事の努力に力を注いでいる。

クラブを運営していくという地元の決意のもと、女川サポーターズと呼ばれる英国をベースとしたサポートの努力によって基金を支援してもらい、ユースチームはすぐにトレーニングを開始する事が出来た。
しかし、震災の後の数ヶ月は運用資金が不透明だったため、クラブが継続出来るのかが明確ではなかった。

しかし、彼らはそれを可能にした。
女川サポーターズは、コルバトーレは以前のように東北の地域リーグの2部へ戻るだろうと話している。
新しい選手のリクルートのために、コルバトーレは来年のシーズンに向けて12月と1月を通してトライアルを実施している。

12月18日の試合はコラバトーレは5対4で勝利し、その試合を見に来た人々を大いに喜ばせました。しかし、女川のチームはフィールドに立った時点ですでに勝利を勝ち取っていたのです。

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